テクノロジーのリーダーとして

中井スクリーンは新しいスクリーンプリント技術のパイオニアです。

中井憲生が60年前に創業して以来、工業技術は驚くべき進化を遂げています。最初に私たちが低予算でできるデジタルを使った方法を業界に紹介した時、業界はまだ、手描きの図案を使っていました。その当時にデジタルによる工程を紹介したとはいえ、図案のスキャンをする際には細心の注意を払う必要がありました。

 

数年後、数人のファッションデザイナーがデジタルデザインのソフトウェアを使えるようになり、一部ですが、デジタルデーターを活用するようになりました。今では、デジタルによるデザイン処理が主流となっています。デジタルデザインか手描きの図案かと聞かれたら、どちらが良いかという事は答えられません。現在のデジタルデザインは手描きの図案を凌ぐほど良くなりました。

 

驚くほど速い時代の流れにより、業界全体がデジタル処理へシフトしていったことは確かです。当社がこの技術的革命の初めからデジタルテクノロジーのリーダーであることを誇りに思っています。


伝統的な技法

高品質のシルクスクリーンによる製品は、デザインから始まり、シルクスクリーンによるプリントを経て製品となって完成です。長きにわたって手作業からデジタル制作へと技術が開発されてきましたが、基本的な工程は受け継がれ昔から変わっていません。

 

高品質の製品を作る為には、良い職人の作るシルクスクリーンの存在は不可欠です。

 

何世紀にもわたり、シルクスクリーンの印刷は、絹を木枠に張ったスクリーンを使って行われていました。1950年代まで、日本ではこの方法で生地へのプリントが行われていたのです。創業者である憲生は、父から伝統的な友禅染めの技術を学んだ後に、この技術を習得しました。

 



写真技術

合成繊維(ポリエステル)へ感光膜を使ったスクリーン印刷の技術は、1950年代に受け入れられ始め、現在でも使われています。木枠はアルミニウム枠に代わり、ポリエステルはスクリーンとしてより強い材質で、良いプリント職人の手に掛かれば何万枚ものプリントに耐えられます。デザイン画は上に置いた透明なフィルムにインクやテープなどによりに柄がトレースされます。フィルムシートはガラスのトレース台の上で色ごとに何枚も重ねながら注意深くトレースされ完成です。中井憲生がリピートする為に開発したマジック クロスはトレス工程のスピードアップが図れました。そのデバイスはフィルムにデザインを正確に繰り返し描くことができるものです(現在のコンピュターによるリピート機能)。彼のまた、非常に正確さと感性を持ち合わせた合理的な職人ゆえの発想でした。それを寸分違わずフィルムに焼き付ける方法を開発しています。色のグラデーションを簡単にトレースできる技法も開発しています。これは、業界にとって、多くの新しい可能性を開くための必要なの開発でした。皆に広く使って欲しいとの願いもあり、彼は一つとして特許を取らなかったのも彼らしいエピソードの一つです。 

当時1970年中井憲生が現在のコンピューターグラフィックスを夢見て開発した日本初の自動リピート機、「マジッククロス」。



コンピュータ化

1990年代になると、コンピューターシステムが生地の色分けにも活用されるようになりました。このシステムは、もともとは出版用に開発されたハイエンドのシステムで、一台のコンピューターとソフトウェアが二~三千万円もかかる非常に高価なものでした。1993年、彼のアメリカ人の娘婿であるアズビー・ブラウンが、マッキントッシュコンピューターを使って開発を重ねたことにより、安価で良質なプロセスが可能であることを証明しました。アズビーと彼は一年ほどの開発期間の後、当時のアドビのフォトショップやイラストレーターのソフトウェアを駆使したデジタルデザインを使って、独自の色分け工程をするようになりました。鍵はこの仕事に使えるフィルム出力、限りなく正確に印刷できるフィルムにあることがわかりました。いくつかのフィルム印刷の種類を試した後、二人はLinotype-Hellから、5000dpiフィルムイメージセッターを選びました。した。それは高価ではあったものの、当時 最高の質、スピード、信頼性のある技術となったのです。

 

これを機に、中井スクリーンの行程は、にわかに速くなりました。長い年月の間、中井スクリーンの業務は手描きとデジタル技術とを半々ぐらいで行っていたのですが、最終的にスピードと合理性正確さでデジタルが席巻するようになりました。

 

すぐに、問い合わせの電話が毎日殺到する様になり。他のシルクスクリーン型製版会社も、中井スクリーンが開発し、紹介したものと同様の廉価で、パーソナルコンピューターやスキャナーなどを使ったデジタル制作を取り入れるようになりました。

 

ブラウンはこう言います:

「この流れは興味深いことでした。というのは、僕たちが最初の頃、マッキントッシュを使って印刷をすると関係者の人たちに言ったら、笑われたのですから。当時は誰もが二千万円以上ののワークステーションじゃないとできないと信じていたのです。関係者からは『おもちゃを使うの?』と笑われましたよ。でも、それから一年ほどしたら、全く同様なシステムで、全ての製版会社がマックを買ってフォトショップを使うようになっていたのですから」

 

それまでと同様に、中井スクリーンは他の企業を助け、どのようにこのシステムをセットアップし、ハードウェア、ソフトウェアを使うかを教えました。今日、日本のほとんどの生地スクリーンにはこの技術が使われています。しかし、しばらくの間、多くの型製版会社は高品質のフィルムプリンターを購入することができず、データを韓国や他の国外の業者に送ってフィルムに焼き付けています。

 



ダイレクト スクリーン

デジタルデーターを出力したフィルムは、手でトレースされたフィルムと同様、フィルムをスクリーンの上に置き 光を照射していました。2000年くらいに登場したインクジェットによるダイレクトスクリーン プリンターはフィルムの使用を不要にしました。

 

これはフィルムのアウトプットのステップを省くことができ、各色のスクリーンが正確に合わせなければならないという問題を省くことができます。中井スクリーンはダイレクトスクリーン インクジェットを購入し、定期的に新しくより速い機械へとアップグレードを行なっています。

 

 



カラーインクジェット

2000年代初期、中井スクリーンは関連会社のためにインクジェットの色のキャリブレーションや適応データー作成を始めました。体系的な実験と色測定をして、調整なしでプリントできるデザインファイルを作成する方法を開発しました。これからスピード面、価格面、色の質でもテキスタイルのインクジェットプリントはもっと進歩し、製品への要求は大きくなります。中井スクリーンはインクジェットプリントのための最適プロセスを開発し続けます。